プエラリアミリフィカの歴史再発見!

女性に大人気「プエラリアミリフィカ」。
バストアップや美乳になれると口コミで広がり、今や押しも押されぬ人気商品として知られています。
人気商品プエラリアミリフィカが、実は紆余曲折の歴史を持っていて、一時期は研究を断念せざるを得ない状況にあった事をご存知でしょうか?
現在の人気を得るまでの道のりは決して簡単ではなく、苦難の連続だったのです。

今回はそんなプエラリアミリフィカの知られざる歴史を紐解きながら、その効果・効能を皆さんにお伝えさせて頂きます。

幻と言われたプエラリアミリフィカ

プエラリアミリフィカの有効成分として注目を集めているのは、プエラリンとミロエステロールです。
これらの効果がメインとなり、女性にとって魅力的なフレーズである「バストアップ効果」が期待されています。

これらの植物性エストロゲンは、1960年頃にイギリス人研究チームによって発見されていました。
それまで、「植物性エストロゲンと言えばイソフラボン」と言われていましたが、ミロエステロールの発見によってその考えが覆されます。
なぜなら、イソフラボンと比べ、1000倍の効果が見込める可能性が出てきたからです。

その優れた可能性から、「最強の植物エストロゲン」と称されました。
さらに、ミャンマーとタイの部族間で交流されていた「ガオクルア(プエラリアミリフィカの現地語)」の中でも、一部の物だけが持つ品質と特徴だった(後に白いガオクルアと判明)為、「幻のプエラリアミリフィカ」とも呼ばれていました。

頓挫した研究

順調に研究が進み、現地で親しまれているプエラリアミリフィカが、多くの人の役に立つかもしれないと期待されていた矢先、研究が頓挫してしまいます。
その理由は、研究対象となる品質の良いプエラリアミリフィカが手に入り難くなったからと考えられています。
理由について「考えられている」とは、以下の事情や時代的な背景によって原因がわからなくなっているからです。

まず、そもそも効果の高いプエラリアミリフィカを安定的に入手することが困難である事実があります。
現在では、安定的に入手できる仕組みが開発されています。
しかし、当時はまだその仕組みが出来ていませんでした。

実は、プエラリアミリフィカの植物性エストロゲンは、3年目以上自生した個体でなければ1000倍の効果を発揮する含有量に満たなかったのです。
さらに、3年以降は含有量が右肩上がりになるかと言うと、そうではありません。
プエラリアミリフィカの植物性エストロゲン含有量は、3年ほどでピークとなり、そこからは減少してしまう特徴を持っています。

さらにさらに、自生年数を個体の大きさで判断すれば良いのではと考えますが、そう上手く事は運ばず。
1年目でドカンと大きくなる個体もあれば、3年立っても比較的小さい個体もあり、大きさがバラバラなのです。

さらにさらにさらに、、、
プエラリアミリフィカと現地に自生している「毒草」が酷似していたため、見分けるのも大変で、現地のハンターでも間違えるほどよく似ていると言われています。

そこに来て、トドメを打ったのが「ベトナム戦争」です。
1960年から1970年代に差し掛かる頃に戦争が勃発し、安全にプエラリアミリフィカを収集することができなくなってしまいました。

効果・効能が本物であったことを立証した日本の研究者達

そんなこんなで研究が頓挫し、時は1990年代まで進みます。
日本の千葉大学にある薬学部の研究チームが、再びプエラリアミリフィカの植物性エストロゲンについて調査を再開します。

現地大学の強力もあり、品質の良い本物のプエラリアミリフィカを手に入れられたことも功を奏し、イソフラボンの1000倍と言われた効果・効能が、信憑性のあるものだと考えられるようになったのです。
そして、その植物性エストロゲンだけを取り出す技術も確立します。
その結果、世界中でプエラリアミリフィカの商品開発が加速することになりました。

現地の研究開発によって、品質の良いプエラリアミリフィカが量産できる体制になり、安定して私達の手元に届くようにもなり、紆余曲折あったプエラリアミリフィカの歩みは、こうして世界中の女性に幸せを運べるようになったのです。

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